隈研吾氏にみるこれからの建築

おれは建築が好きだったので、隈研吾氏が注目され始めた初期から、興味を持っていた一人だった。

 

隈研吾氏の作品の特徴は、建築を「箱」ではなくて、「場」と捉えているところにある。「和の大家」とよばれているのは、やや皮相的な捉えかたであって、たしかにモチーフにおいて和のテイストをオシャレに使うけれども、隈研吾氏の本質はそこではない。

 

都市計画と、建築とは本来連続な概念であるはずだ。土地の所有者であれば、どんなものでも立ててもいいのが原則だが、日本においては、街並みに忖度して、空間をつくる人がほとんどだろう。同じように、自然環境や、周辺の環境の主張を飲み込んで、そこに順応していく建築が隈氏のいう「負ける建築」なわけである。

 

おれは、隈さんの感覚がよくわかる。コンクリでつくったヘンテコな造形の、一種彫刻のような主張の激しい物体は、なんだか気恥ずかしい。そこには一種の衒いがなかったか。

そういうものは、個別の作品としてみれば一貫性があるのかもしれないが、街全体としてみたときに、各建築家のまったくバラバラの個性が喧嘩して、調和のない、居心地の悪い空間ができることがよくある。

 

例えば、江戸時代の江戸の街並みの美しさは、もう想像するしかないけれど、おそらく、歴史の中でも有数の美しさであっただろう。しかも、別に「天才」が建築をつくっていたわけではない。職人たちが、自分たちの経験と美学をもとに、実用的な目的でもくもくと作っていった建築なのである。

 

 

日本の街は総じて醜くなってしまった。それは、建築家が、たいしたこともない個性を主張することばかりやって、自主的な都市計画的良心とでもいうものを持たなかっただろう。

これからは、芸術的建築家の時代ではなくて、職人的建築家の時代である。隈研吾氏に続く日本の建築家は、個性を主張するためではなく、技術とディティール、生活のための場を作っていくだろう。そう考えると、日本もまた、美しい景観を取り戻せるかもしれないという期待が湧いてくる。