中国の凄さ
おれはつくずく、日本人は中国人から学ばなければだめになってしまうと思っている。
中国には感心するところがたくさんある。
その大陸的な気風、おおらかさ、中国的な大人(ターレン)の懐の深さ。
李白の詩を読んでいると、古の中国人の風雅さと大胆さの絶妙な共在に驚く。
李白は言う、
そもそも、
広大な天地とは、万物を迎え入れる旅館のようなもの。
流れゆく光陰とは、永遠に絶えることなき旅人のようなもの。
そして彼は、美しい自然を詠むことのできる詩才を讃え、もしうまく詩ができないなら罰杯を飲もうとうたう。
日本の文学というのは、一種の湿った、梅雨の季節のような、女性的な感性に満ちている。それに比べて、おれはこの中国の男性的な凜とした文学が好きだ。
思うに、日本人の男にも、スサノオから続く益荒男の精神が潜んでいる。しかし、それはここ最近、隠れっぱなしだ。
基本的に、男のありかたは、その精神において男性的な純粋さを求めて、身体において女性の美しさを好むものである。ときに、その精神の美を、女性の身体の美が象徴していると勘違いをしてしまう、これは悲劇である。
結局、男性が、自らの理想主義の拠り所とできるような、男性による、男性のための文化が、日本には決定的に欠けているようである。
だから、日本男児が輝きを取り戻すためには、漢学の再興が不可欠であるだろう。