ショーペンハウエルという人

今おれが持っている『幸福について』というショーペンハウエルの書いた小論の文庫本は、新潮からでていて、青空のかわいい表紙で覆われている。

よく、店頭の目立つところに売っているから、読まれた人も多いのだろう。評判も高いのだと思う。

幸福論なんていうものは、およそ読まずにさけていたが、高校生の終わりころか、大学生の最初のころにこの本を手にとって、とても衝撃を受けたのを覚えている。

 

これほど、愉快で、楽しい気持ちになる哲学者の著作をおれは知らない。この書物は、実にショーペンハウエル一流の、ひねくれたウィットに満ちているが、不思議とそこにはあたたかい、楽しい気分が漂っている。

ショーペンハウエルを厭世の哲学者とはいうが、キルケゴールや、ニーチェや、あるいは哲学者ではないけれどもカフカのような、ああいう陰鬱な思想はまったく感じられない。

 

ショーペンハウエルはその思想の中で、世界の全ての「物自体」を意志であると力強く規定し、最後にそれを拒絶し、涅槃の境地に至ることを説く。

それに対して、ニーチェは、その意志の思想を引き継ぎながら、「意志」を拒絶するのではなく、肯定することを言った。それは、独創的というよりも、むしろ自然なことである。

というのも、ショーペンハウエルは、意志というものの必然性をあれだけ説いておいて、最後の数ページで唐突に、それを拒絶するべきだという結論を与えるが、どうこじつけてみても、整合性がとれないように思われる。

 

結局、ショーペンハウエルという人は意志の人であったようである。その生涯からみても、実に人間的に、いきいきと生きている。健啖家で、おしゃれで、つねに銃を近くにおいて寝る男が、意志を否定することなどできるはずがないのだ。

だから、この幸福論の方が、ショーペンハウエルの思想の本当のところであったのだろう。ショーペンハウエルの「ポーズ」よりも、晩年にのぞかせたその純真な少年が得た老獪なる知恵というアンビバレントな魅力が、人を惹きつけてやまないのであろう。